「手を抜いて仕事をし、周囲からは以前より良い評価を」その為には?

今回に関しては完全に日記です。

自分の為に書いてるだけだね。

未来への自分の為の確認として残しておきたいし、今の気持ちを書いておく。

数年前からおぼろげに

「手を抜いて仕事をし、周囲からは以前より良い評価を。」

と言うテーマを考えていました。

自分の中で

「手を抜く=さぼる=一生懸命やらない」

というのが基本的な考え。

要領は良くない人間なのね。

苦労はしたが年齢を重ねるごとにプラスになっていることも実感している。

「やれることを全部やる」

という意識は強かったな。

今も変わんない。

ただ今までと同じだとこれより上、または成長は出来ない。

それなりに自分の仕事の形はある。

長年積み重ねてきた結果が出る仕事のやり方が。

でも状況は変わり、今までと同じやり方は出来なくなった。

その点については仕方ないし、納得している。

もうやれることはない。

「じゃあ出来ないままでいいのか?」

と自問自答すると

「いやだ、ふざけんな」

と思う笑。

どうすればいいかずっと考えている最中。

今週少しだけど新しい形の片鱗が結果になった。

ほんのほんの少しだけど、今までやってきたことが少しだけ形になった。

自分が目的とするラインにはまだまだはるか先。

でも、ちょっと嬉しかったな。

それは本音。

満足するわけではないけど、今までの状況を考えるとあからさまに変わったな、と思う。

手を抜く、言い方は悪いけど大事なことだと思う。

手を抜いた分新たに何かをする時間が出来る。

問題は

「周囲の評価が下がる」

当たり前の話だね。

手を抜いている人間は顔の表情や行動、しぐさ、言動などで

すぐにばれる。

人間の心は敏感だし、感じ取りやすい。

手を抜いていない振りもばれるのよね。

だとするとどうすればいいか?

要領良いと同じ意味なんだと思うけど

「大事なポイントではしっかりとした力を示す。結果を出す。周囲を満足させる」

になると思う。

簡単に書いたが

「力を出す」

には能力、知識、経験が必要。

謙遜せずに言えば、能力、知識、経験はある。

なぜあるかと言えば

「同じことをひたすら長い期間かけて苦しんで覚えたから」

苦労して地味に覚えた知識は消えない。

最近改めてそう思う・・・・

自分の中ではまだはっきりとした自分の絵は見えていない。

でも前よりは少し、ほんの少しだけ見えてきた気がする。

そしてこのような考えをする時間が持てるようになったことは

やっぱり奇跡だな、、、、

今回の話は簡単に言うと

「最速で結果を求め、その上周りからの評価も高い」

と超理想的な考えです。

「そんなん無理だ」

「出来ない」

は自分の中にはない。

それよりも

「致命的な失敗を避け、小さな失敗を繰り返しながら結果に近づけていく」

の考えになる。

愚痴も言うし、普通に上手くいかなければ落ち込む。

でも意味のないマイナス思考の慰めあいしている時間はもったいないし、

周りからも聞いていて邪魔なだけ。

先はどうなるかわからない。

予期せぬ出来事はいつ起こるかもわからない。

何か起きた時に人生が変わるのは知ってる。

今回のような考えよりも優先する事項があれば、そっちを優先しなくていけない

意味も知ってる。

やれることはやろう。

それが自分にとって1番大事な事だったな。

昔よく自分の中で唱えていた言葉

「結果があってこそ過程が見える」

どんなにどんなに頑張っても結果が出なければ、過程は見えない。

それはただの

「頑張ってる振りをしている人」

残酷だけど、事実。

資本主義はそんなに甘くないの。

逆に結果が出れば、結果が出た過程の流れがはっきりと見え、

自分の自信、経験に繋がる。

その過程は次も使えるし、次以降はもっと自信を持って使える。

そして自分が成長した実感の楽しみも増える。

他にも自分が使ってる、使ってた言葉色々あるけど、

書くと引かれるの知ってるから書かない笑。

どうなるかわからないけど、やってみよう。

不安だし、先も見えないけど、楽しみもあるね。