お母さんを一人で介護してたのね

さて・・・
やっとこの話題に触れてもいいような精神状態になってきた。
先に言っておくけど俺の話ね笑。
このドS男の話よ。
重い感じで書きたくはなかったし、というよりはこんなブログに書くもんじゃない・・・と今でも思う。
もう一歩前に進みたいんだと思う。

ちなみにこのブログで会ってる仲良い女の子には言ってる。
こういう出会いを求めることになった大きな理由。
暗く書きたくないから出来るだけ明るく書きたいけど・・・たぶん無理かな笑。

3年と8か月一人で母を介護してました。
29歳の時からね。
脳梗塞になってね・・・言葉も喋れなく、字も書けなくなって、身体の右側がマヒした母を介護してた。
あっさり書いてるけど・・・色んなことあったよ。
色んな感情がありすぎる。

俺はさ、マザコンなの。
お母さん大好きな男の子。
そんな感じするでしょ笑。
亡くなっちゃってけど今でもそれは変わんない。
命を懸けて母を守ってた。
俺の人生で唯一の誇り。

29の母が倒れる時まではただのダメ男だったのね。
母が倒れてから全てが変わった。
価値観も考え方も生き方も全てね。

あの頃楽な思い出がないのよ。
毎日気を張って研ぎ澄まさせて生きてた。
24時間365日ね。
自宅介護だったしね。

若い人はわかんないくていいけど30前後で介護する人っていないのよ。
周りの悩みは仕事、結婚、子育てとか。
うらやましくてね・・・
うらやましくてうらやましくてうらやましくて仕方なかった。
悔しいし、
「何で俺が?」
なんてのはしょっちゅう思うし、悩みの質が一気に変わる。
生きるってなんだ?
死ぬってなんだ?
幸せは?
楽しいとは?
なんのために生きるんだ?
自由とは?
人生とは?
夢とは?
目標とは?
・・・きりないわね。

単純に介護やった理由は
「お母さんが好きだから」
と言う理由。
そのために覚悟できたしほとんどの事を犠牲に出来た。
(「覚悟と犠牲」とよく言ってたな・・・)

よく書いてると思うけど
「思いやり」

「楽しくしたい」
はこのころの経験からきてる。
楽しいと心から思える瞬間なんか正直なかったよ。
自分で門限作って早く帰ってたしね。
母が心配だから。
女遊びなんか選択肢にない。
その上他にも色々あってね・・・
「よく生きてたな」
と自分でも思う。

この話ちゃんと書くとこのブログの数十倍のボリュームは書けるよ。
でも・・・それは辛いし、書きたいとは思わない。
辛いけど大切な思い出だしね。
「甘く苦しい思い出」
が1番しっくりくるかな・・・

イメージ湧かなくてもいいんだけどさ、母は喋れないし字も書けなくなったのね。
その母と二人で住んでたの。
喋れない人とどうやって会話する?
字が書けない人とどうやってコミュニケーション取る?
なんだかんだで最終的には8,9割は左手の動きと顔の動きと目の表情で8,9割は母の言いたいことがわかるようになった。
そりゃ観察眼が鋭くなるでしょ笑。
そんで喋れない母の分も自分が喋れなくならなくちゃいけないでしょ。
「出来ない、無理」
とは言える状況ではないのね。

母が亡くなって俺は壊れた。
全てが母中心の生活をしてたからやることがない。
生きる意味がなくてね・・・
それと同時に罪悪感が強く消えなかった。
「今の自由は母が亡くなったから」
とね・・・
53の時に母が倒れた。
そん時俺は29。
介護っていつまで続くかわかんないの。
そんでどんなに頑張っても悲しいけど現状を維持するのが精いっぱい。
色んなことあるよ。
救急車は5回乗ってるし、冗談でもなく病院には500回以上行ってる。
手続きとかお金とか全部俺がやるしね。

ある時ふと
「29年間は母を助ける」
と決めた。
何かしら期限がないと絶望で心が壊れちゃいそうでね。
(29歳まで育ててもらったからさ)
俺が58。
母が88。
適当だけどそう決めたの。
女性の平均寿命って86ぐらいだからさ・・・
そこまで考えないと未来のプランが何も思いつかない。

自分の生活や夢や目標とかは全部吹っ飛んだよ・・・
とはいっても辛くてね・・・
女性の事考えるなんて無理なのよ、介護してるとね。

自由な人がうらやましかった。
責任を感じずに生きてる自由さが本当に羨ましかった。
自分も自由に生きてきたんだけどその時に初めて気がついたの。
「自由」
の意味をね。
逃げたいとも思うよ。
死にたいとも思う。
でも母を残すわけにはいかない。
大事な大事な母をね・・・

強くならなくてはいけなかった。
落ち込んでる時間もなかった。
頭もよくならなくてはいけなかった。
周りから頼られるような男になるしかなかった。
ある意味逃げてるのね。
「強い男になるという逃げ道」
今までの自分じゃ対応できない。
そうすると新しい自分、理想の自分になるしかないでしょ。
逃げ道はそこしかないからさ・・・
そうやってこのブログでもよく書いてるけど
「人格」
を作っていった。

このエロブログを始めた理由ってさ・・・皆が思うのとかなり違うのよ。
俺はさ・・・楽しく生きなきゃいけないの。
何があろうとね。
自由が一瞬でなくなるのは経験してる。
そんでもうさ・・・責任は負いたくないの・・・
もう一回あの頃と同じことは出来ない。

自分にとって
「楽しい事はなんだ?」
と真剣に考えてみたのね。
そしてら冗談でもなんでもなく
「エッチ」
だった。

自分と相性良い女の子とエッチしてると夢中になる。
なんか色んなことが吹っ飛ぶのね。
そんで生きる気力に繋がる。
だから会ってくれた女の子には感謝してるでしょ。

ただ付き合うとかは求めてない。
まだ理由があるんだけどね。
そのかわり嘘もつきたくないのよ。
正々堂々と
「エッチ前提の関係でエッチさせてください」
と言ってるでしょ。

こういう出会いでもちゃんと女性は大事に扱うよ。
会った女の子から知ってると思うけど
「お母さんが見てるかもしんないからさ」
と俺は時々言う。
恥ずかしいけどね笑。
そんで
「ごめ~~~~ん、こんなことして」
と言ったりする。
俺も女の子もホテルで裸の時にね笑。
母が見てるのなら変な事は出来ないでしょ。
(変な事はしてるけど笑)
相手の意向を無視して傷つけたりとかは絶対にしない。
それは母が悲しむからね。

ドラクエやれたのが嬉しかったの。
この7.8年色々あったけどやっとのんびりしてた。
少し心に余裕が出たんだね。
そしたら29歳の時に書いていた介護のブログを4年ぶりぐらいに読めた。
ずっと辛くて読めなかったの。
涙は出るわね。

普段でもよく言うんだけど
「人の事を聞く前にまず自分の紹介しろ」
というのは当たり前のことだと思う。
「じゃあこのブログの俺は?」
と自問自答すると・・・何にも書いてない笑。
だって世界に公表されちゃうしね。
それに書きたくないのも本音。
エロの内容だけでいいとおもってた。

頭が固くなってるのよ。
まあ・・・しゃーないとおもう。
もう少しこの固まった頭を柔らかくしたいな・・・と思った。

エロブログだけど過去の内容を掲載してみる。
最初に言っておくけど俺の話だからね笑。
このブログってエロの部分しか出してないから俺の普段の話の1%以下位の内容。
俺さ・・・色んな経験してる変わった人なのよ。
だから人と話す時の器が大きいのね。
経験値が色々と多いのよ。
エロと介護だと話あまりにも違うけど、俺の頭の中では普通の同一線上の事。
同時に色んな事考えられるの。
辛い環境がそういう力をつけたのね。
才能じゃないよ。
努力で変えただけ。

正直今は勢いで書いてる。
だからこの内容すぐに消すかもしんない。
だってさ・・・重いのよ笑。
当時の俺は自他とも認める超重い人。
そんでいつも問題に立ち向かっていってた。

軽い男になりたかったの。
心の奥底からね。
軽い男になれば重い自分が消えていくと思ってた。

ろくに遊んでないのよ。
やっと今は少し遊んでる人になれてる。
当時の自分が大嫌いで殺意むき出しになるようないい加減なセックスしてる男になりたかったのね。
そうすれば・・・昔の自分(彼と呼んでる)は未来が見えると思うの。
「今辛いだろうし、今後も辛いだろうけど・・・いいことや楽しい事あるからさ」
と彼に言ってあげたい。
彼は・・・ほんとうによく頑張ってた。
なんであんなこと出来たのかもわかんない・・・
それでも考えると・・・
母が好きだったんだね・・・
優しく、強い母だった・・・

あの頃のマインド思い出すな・・・
別に嫌われてもいいのね。
自分の内にいる人だけを大事にしたい。
外にいる人はどうでもいい。
心からそう思ってた。
他の人を助ける余裕なんか0だった。

俺がこのブログでも女性に
「思いやり」
を望んでいる理由の一つがこの話ね。
内容わかんなくてもいいの。
30代40代でもわかんないよ。
介護は60ぐらいから考えることが多くなるのが普通。
若い人はわかんなくて当然。
でもね・・・この話した時に真剣に考えてくれる顔してくれるのよ、俺と相性良い女の子はね。
その気持ちは・・・伝わる。
学生の女の子に対してもこの話言うしね。
(ここに関しては年齢は関係ないでしょ)
ちゃんと考えてくれる気持ちが嬉しいし、そのせいでSっぽくもなるんだけどね笑。

この話は辛くて辛くて4年近く一切触れてなかった。
まだ他にもあるのが俺の複雑な人生なんだけどね笑。

「暗い話、辛い話は一切書かない」
というルールを自分に課していた。
心が辛かったからね。
今は・・・やっと少し楽になってきた気がする・・・
だから書いてみた。

ブログ暇だったら読み直してみてくださいな。
エロい事考えてる時や書いてる時はさ、夢中になれるから色々忘れられるのね。
気がつかないと思うけど、俺なりに魂こめて書いたり、
「頼む、重い俺に気がついてくれ」
と書いてる時も正直あるしね。
自分が楽しく生きたいと自分で思ったし、母から見て俺が今後楽しく生きてる姿を喜んでくれると思う。
多少良くない事やってるのは・・・すまん笑。
でも会った女の子が笑顔になって良い思い出になるのなら、それは悪くない事だと思う。

あ、そうそう。
当時の俺の自分の呼び名は
「戦うマザコン」
でした笑。
正直怖かったよ、俺はね。
だって生きるか死ぬかで物事常に考えてたし、
「母を傷つけるものは何があろうと許さない」
と真顔でよく言ってたしな・・・
(人の命が関わると考え方変わるのよ、俺を嫌ってもらえるだけで母が安全ならそっちのほうがいいでしょ)

なんで書いたかと言うとこの後の当時の文章がそんな感じだった。
まだ感情コントロール出来ない時代のやつね。
(面白いのが自分の事
「僕」
と書いたりしてた笑。)

さて・・・エロ目的の人はこれ読むのかな?
エロブログ検索してたらいきなりまじめすぎる話を書いてたら・・・びっくりするだろうね笑。
ま・・・やってみよ。