20代介護③

弟とひとしきり泣き終わった後、二人ともしばらく動けませんでした。
体に力が入らず、昔の母との思いでを思い出しては涙ぐむといった感じでした。
2、3時間たちもう一度母のもとへ。
母は寝ていました。
今後どうなっていくのかはわかりません。
ただ心から
「良くなってくれ」
その一心でした。
ここにいても動きはないので1度家に帰り夜また来ることにしました。
車で30~40分の距離でしたが運転も非常に怖いです。
運転してると悲しみを思い出し、涙が出てきました。
家に着き、ソファーの上で体を休めました。
家で飼っている猫が寄ってきます。
母に非常になついている猫でした。
「0000(猫の名前)、、、
お母さん当分帰ってこないからね、、、、」
そういうも猫はきょとんとしてました。
しばらく横になり、放心状態が続きました。
悲しみは消えません。
しかしながら悲しんでいても誰も助けてくれる人はいません。
全て自分でやらなくてはいけませんでした。
私の両親は離婚しており自分は父親とは離婚した時から8年話していません。
慰謝料も一銭も払わず、二人は離婚しました。
少しややこしいのですが弟は父親と一緒に住んでいます。
しかし弟と話した結果、
「黙っていよう」
という結論を出しました。
(今現在も父親は母が倒れたことを知りません。)
家庭の事情なのですが、今後なぜかを少し書ければと思ってます。
家庭によって色んな人には理解できないことありますよね。
そしてまず自分にいくらのお金があって、母にはいくらのお金があるか計算しようと思いました。
身内が病人になり、自分が全部しなくてはいけないときは
悲しみに暮れている暇はありません。
現実的に必要なのはまず入院費。
今後どれくらいかかるのか、不安が大きかったです。
お金を計算してみるとまず自分。
恥ずかしながらこの時お金なく借金を40万ほどしていました。
この1年半転職回数が多く、給料が一番悪い時でもありました。
母の通帳を探し出しキャッシュカードと照らし合わせて
2つの口座を使っていることが分かりました。
2つの口座を合わせてお金が5万円弱。
また母がこの2年間心臓が悪くほとんど働いていないこともあり
私のお金で生活していました。
しかし通帳を見たのは初めてです。
こんなにお金がないのかとびっくりしました。
自分が給料がいい時はおこずかいあげるなど出来ていたのですが、最近は家にいれるお金で精一杯でした。
その時に海外やパチンコなどで遊んでいたことを後悔します。
そしてもっといい思いを母にさせてあげたかった、色々と悔やむ言葉が出てきますが、今はそんなことよりもこれからの事です。
母は住宅ローンを組んでおり残り24年残っていました。
全額ローンで組んでいるため売却しても赤字になってしまいます。
後は生命保険。
終身保険に特約として入院の保険がついていました。
1日5000円で120日間。
しかし20日以上入院してから初めてもらえるというタイプです。
すぐには出ないことは既に知っていました。
この保険については後に詳しく書きます。
現在の家のお金を数えると結局マイナスという判断に。
また通帳から保険の契約者貸付もかなり母が借りているという事もわかりました。
(後日説明します)
とりあえずお金がありません。
カードローンの枠は当時100万まであったので
借りればまだ60万近くは借りれました。
しかしこのままで行くとすぐにお金なくなってしまいます。
また私が勤めている会社でちょうど私自身で完全歩合の給料にしたばかりでした。
気合を入れる為と、自分としては完全歩合で働きたいと思っていた為です。
なので翌月の給料には当てはありましたが何もしなければその翌月以降はゼロです。
じゃあ他に当てがあるか考えてみました。
弟は000で000になったばかりです。
25歳の仕事を始めたばかりで夢にあふれた弟に面倒をかけるのは可哀想だと思いました。
母の実家は悲しい事に母の母も脳梗塞で歩けません。
障害者なのでそちらも頼れません。
親戚関係はほぼいませんでした。
あとは私の父親のみ。
この人だけには連絡したくありません。
絶対に頼る気はありませんでした。
そうするとどうすればいいか方法を考えます。
まずしなくてはいけないのは母の見舞い、看病、その他手続きもろもろ。
そして生きていくために必要なお金。
当てがあるのは自分で稼ぐ、
これしかありませんでした。
そこから母の知り合いに連絡を始めます。
母の実家と友人には連絡入れた方が良いと思い、母の携帯から番号を割り出し連絡入れました。
私の経験上このあと時間がたっていくと人間関係が一生終わる人が色々出てきます。
そこは覚悟しておいた方が良いです。
それから母の着替えを持って再度病院へ。
母の所に行くと目をつぶっています。
寝てるのか、それとも今後もう起きないのか。
よくわかりませんでした。
「ただ良くなってくれ。」
心からの願いです。
不謹慎ですが別れの言葉も言っていません。
良い思いももっとさせてあげたかったと、いう気持ちも強いです。
全てにおいて納得いってません。
まだ母は53でした。
手をずっと握ってました。
しかし反応はありません。
医者と看護婦に聞いても
「このままの状態を続けているしか方法はない」
と言われました。
病院で寝るスペースもなかったので
「何かあったらすぐに携帯に電話くれ」
と看護婦に言い家に帰りました。
夜家に帰り夕飯を取ろうとします。
鍋に昨日母が作った生姜焼きがありました。
温めなおして食べたのですが
「これが最後の母の料理になるかもしれない」
そう思うと非常においしく、そして涙が止まりませんでした。