20代介護②

前日の夜は全く普通に母と話をしていました。
翌日は私が仕事休みだった為昼近くまで寝ていました。
今考えると本当に不幸中の幸いだったと思います。
私が自分の部屋から出てリビングに行きました。
通常は起きている母がまだ起きていません。
僕の感じとしては
「今日はよく寝ているな」といった印象でした。
冷蔵庫あけて飲み物飲みます。
すると母が寝言のようなことを言っていました。
珍しいなと思い母の方を見に行きます。
すると「う~ん、う~ん」とうなりながら少し笑っていました。
何かがおかしいです。
このような母の姿は今まで見たことありません。
近くにより
「どうしたの?」
と私が尋ねます。。しかしニヤニヤしているだけで全くこちらの言っていることを理解していませんでした。
表情を見ると片方の口のみが笑い顔を作っており、言い方悪いですが阿呆のようになっていました。
「お母さんどうしたの?」
と何度尋ねてもニヤニヤしているだけです。
動きはよく見ると左手のみで宙を払うようなしぐさを何度もしていました。意味は分かりません。
そして右利きの母が右手を全く動かしていないことに気が付きます。
何か取り返しのつかないことが起こった。
それははっきりと感じられました。
私自身もかなりのパニック状態です。
体が震え、心が動転し、涙が出てきました。
「ねえお母さん俺のことわかる?俺の名前読んでみて。」
その答えにこちらを見ながらもニヤニヤしている母。
「お母さん、お願いだから何か喋ってみて。」
悲痛な声で尋ねますが反応はありません。
症状を見る限り脳梗塞だなと思いました。
テレビなどで介護している人のドキュメンタリーなどで時々見たことありますがその度に
「ほんと大変だな~」
と思ってみていたのですが、母の状態を見て自分の運命が
大きく変わらなくてはいけないことがわかります。
瞬時に自分の人生が変わることだけははっきりとわかりました。
何回も何回も
「お母さん、ねえお母さん」
と呼びますが反応は変わりませんでした。
「お母さん。、、お母さん、、、
ねえどうしちゃったんだよ~~~、、、、」
私も涙が止まりません。
しかしこの状態を続けていても何も変わりません。
母に向かい
「救急車呼ぶからね。」
と言うと
「う~ん」
と嫌そうな顔をしています。
少しはこちらの意味を理解しているところもあるようでした。
そこは無視して119番かけます。
相手の声は
「119番です。どうしました?」
と聞いてきました・
「母が私が朝起きたら変になってしまったんです。
昨日の夜まではふつうだったんですが、、、
(声にならない状態で電話しています)
こちらが言ってることもよくわかってないみたいだし、
話しかけてもニヤニヤしてたりしてなんか阿呆みたいに
なってしまっているんです。」
頭が混乱して呼吸もおかしくなりながらもなんとか住所、名前を言い救急車を呼びました。
電話が終わった後は母の近くに座り、手を握っていました。
私は母がとても大事です。
その時に何があろうと絶対に母を守っていくと誓いました。
しばらくすると救急車の音が聞こえてきます。
母の保険証などを探し準備しました。
そして救急隊員がきて母を担架に乗せる準備をします。
動きはとても早かったです。
マンションの上階に住んでいるので、エレベーターで下に行き
救急車の中へ。
母は機嫌の悪いような顔をしていました。
しかし理解は何もしていない顔です。
救急隊員から
「かかりつけの病院はどこですか?」
と聞かれていたのでいつも使っている病院を教えていたのですが、そこは現在救急の空きがないとのこと。
「ここから20分ぐらいのところの大学病院が
現在受け付けている」
と言われたのでそこに行くことになりました。
自分としては母が心不全のために過去に2回ほどいつも使っている病院で入院していたのでそこが良かったのですが、そこには行く事出来ませんでした。
仕方ないことだと思いますが、その状況の時は怒りを覚えます。
理由は母が助かる可能性をできるだけ上げたいから。
テレビなどで救急車に乗ってもたらいまわしされる事を時々やっていますが、いざ当事者になると本当に怒りがこみ上げてきます。
大学病院に向かう最中弟に電話入れました。
弟に事情伝えると、仕事を早退してすぐに来るとのこと。
病院につくと看護婦、医者の5、6人のチームがすでに
準備しており、過ぎに緊急治療室みたいなところに連れていかれました。
私はそこで
「申し訳ないですが、入れません」
と看護婦に言われます。
「ふざけんじゃねーよ」
と怒りますが、どうしても入れない様子。
受付の待合室で待つことにしました。
その間ずっと涙が止まりません。
思うことは
「母が良くなってくれ。」
その一心でした。
15分後くらいでしょうか、担当の医者が
こちらに来ました。
自分「母の状態はどうですか?」
と聞くと脳梗塞だとのこと。また心臓の状態も悪いらしく、その血液の流れが悪くなり、首のあたりで血がつまって脳に血が行かなくなって脳梗塞を発症したとの事。
現在できることは血の流れを良くする薬を使って回復を待つのみしか出来ないといわれました。
また発症から3時間以内だったら助かる可能性のある薬を使えるのだが、既に時間の特定はできないが今日の明け方前、
または朝に発症した可能性が強く、その薬は使えないとの事。
その話を聞いたときにまず自分を責めました。
「なんで自分はすぐに気がつかかなかったんだ!」
すごい後悔の念です。悔しくて仕方ありません。
また医者に今後どうなるかと聞くと、
現在の状態では非常に危険との事、脳の障害が
これから1週間くらいのうちにさらに悪くなれば
最悪植物人間になる可能性もあると言われました。
この時よく覚えていますがまず頭がくらくらして
平衡感覚がなくなります。
そしてそのあと
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”ぁーーーーーーー」
と大声で叫びました。
病院の待合室でしたがその時は頭の中から消えていたのでしょう。
絶望の気分でした。
変な話ですがその話を聞いたときに母がもう以前のようには戻らない、
そしてよくなったとしても様々な試練が訪れる、そしてお金。
全てが一気にのっかかってきたような感じです。
すると医者が私の肩を強く握り
「落ち着いて、過呼吸になってしまいますから」
私の呼吸は過呼吸になっていました。
喉の奥が開かないような状態です。
医者に
「落ち着いて、あなたがしっかりしなくてどうするんですか」
と言われ、なんとかゆっくりと呼吸を落ち着かせていきました。
その後足に力が入らなくなります。立てなくなってしまい、近くのソファーに倒れる様に座りました。
そのあとはしばらく泣いていました。
そしてそのあとは放心状態。ソファーにもたれかかるように座っていました。
1時間ぐらいして弟が病院に来ます。
弟「お母さんどうしたの?大丈夫なの?」
と聞いてきました。
誰でもいいからすがる人がほしかったのでしょう。
弟の方によりかかり弟の胸で泣きました。
このような姿私は弟に見せたことありません。
弟もひきつった顔をしていました。
事情を説明すると本当に驚いた様子。
私は説明しているとまた涙が出てきます。
この時の弟はまだ涙を見せていませんでした。
母は過去に何回か入院したことがあったのですが、それほど深刻ではなかったので1週間以内には退院していました。
弟の中ではまだそのようなイメージだったのかもしれません。
弟と二人で待っていると、しばらくして医者が来て面会可能になりました。
二人で緊急病棟の中に入ります。すると母が点滴を受け
ベッドに横になっていました。
弟は今まで普通に話せる母のイメージです。弟が母の
手を握り話しかけていましたが、反応は先ほど私が
した時と同じです。
今は血の流れを良くする薬と、脳の損傷を抑える薬を使うしかない
と医者が再度説明していました。
私も母の手を握り、
「絶対に、絶対に助けてあげるからね。」
と言って病室から出ました。
その後の弟もパニックになっています。それはそうでしょう、
私も弟も母が大好きです。
私と同じように涙が止まらず、体が震えていました。
弟にも「今までのような母親は戻ってこない。」
そう理解したのでしょう。
私も弟も両方体格は大きく二人一緒にいると
威圧感あるぐらいです。
しかしそんな大人二人が待合室でしばらく泣いていました。