20代介護④

翌日朝早く起きて病院に行きます。
母の状態確認すると昨日と特に変わりなく、ただ目を覚ましませんでした。
その後医者に説明を聞きます。
すると脳梗塞は、まず急性期があり発症から約2週間はどう転んでいくかわからない、良くもなったり悪くもなったりする。
ただ脳の検査をしてレントゲン?
(MRIかもしれない、ちょっと忘れてしまった)
を見てみると昨日に比べ脳の死んでいる場所が多くなっている。
今できるのはこれを悪化させないこと。
他に方法として血の流れを良くする薬があるが私の母は心臓が悪く体に水がたまりやすくなっている、なので水分をあげすぎると不整脈の可能性があり、心臓が止まってしまうかもしれない。
なので今は脳の事も大事だが心臓の方も考えながら
バランスよく治療していくしかない。
そして今回の症状は脳梗塞、右半身に一切の反応がなくなっている、と言われました。
はっきりと右半身が動かないと聞き、また泣いてしまいます。
この後医者にもう一つ違う事を言われました。
その内容は
「ここは緊急病棟で今この病院には空きがない、
そしてここに母を長く止めさせることはできない。
出来るのなら明日にでも病院の空きを探して
転院させてほしい」
と言われました。
半端じゃない怒りがこみ上げてきます。
医者に対し、
「こんな危険な状態の母を車に乗せるのか?」
「そしてその時に何かあったらどうするのか?」
「誰が責任とれるんだ?」
かなり興奮した口調で医者に畳み掛けました。
今なら理解できるのですが、緊急病院はある一定のエリアを広い範囲で受け入れ先にしています。
そして出来る限り緊急の人を見れるようにしなくては行けない為、回転数をあげなくてはいけないのです。
ただ身内に病人がいるときはそういう仕方のない救急システムになっていることを理解はできるのですが、
そんなことより母の命の方が大事です。
他の人の事はどうでもいいという気持ちになります。
かなりもめました。
ただ病院の立場からでは身内の意志がないと勝手に転院させることはできないとの事。
その時は
「納得できません。責任とれるのですか?」
と言いその場を離れました。
その後再度母の所に行き手を握っていました。
相変わらず目はつぶったままです。
声をかけてみると少し目が明きました。
なにかにびっくりした表情をして辺りをきょろきょろみます。
しかし病院だという驚きの表情ではなく、目に見えるものをとりあえず見てそれに対する認識の力はありませんでした。
そしてすぐにまた目を閉じ、目を覚ましませんでした。
その後は病棟を出たり入ったりしてました。
病棟を出てしたことは会社への電話。
ちょうどこの日まで休みだったので社長に現況を報告する事に。
会社を休んでいいと言われました。
しかし結局この後は会社1度も休みませんでした。
病院に行ってから会社に行ってました。
理由は休んでもお金が1円も入らないからです。
その後母が入っている保険会社に連絡します。
コールセンターにかけました。
既に私この時もめることを想定して電話しています。
理由は保険の契約者、被保険者が母親。
そして昔の保険なので指定代理人請求に加入していない事。
(これは本人が自分で請求できないときに指定した人が
代わりに保険を請求できるシステム。4、5年前から
大手保険会社がだいたいはじめてます。)
なので息子とはいえ本人ではありません。
案の定電話して
「保険の請求はどうすればいいのですか」
と聞くと
「本人から出ないと受付できません」
との答えが返ってきます・
そこから私が相手の名前を聞き本名を言わせ、
「あなたが行った事を週刊誌なり、ネットなりに報告する。」
などや他にも保険の矛盾点が色々とあることを知っているので
色々と畳み掛けていると、
「少しお待ちください」
との事。
しばらくすると
「近くの支店の担当から連絡しますので待っててください。」
と言われました。
時間が少し経ち保険会社の人から再度電話が。
支店の支社長から電話でした。
「1度お話ししたいので時間作ってください」
との事。
後日会う約束を取り付けます。
この辺りからでしょうか、自分がお金を払う相手に対し何でも聞き、そして言うようになりました。
(病院、役所、保険会社、銀行などは自分たちから有益な情報を言わないことが多いです。
彼らも人によっては知らないことが多い)
また相手のトークの流れを聞いていると自分中心で話をまわしたいのか、相手の事を思ってしっかりやっている人なのかわかります。
自分中心の人間には何回も喧嘩し、理詰めで黙らせました。
少し前の自分では争い事が嫌いだったのですが、すべての事柄が
「母を守る為」
この言葉が自分の中にあると情もなくなります。
人格が一気に変わっていきました。
その後弟も再度病院に来ました。
車の中で今後の事を話し合います。
二人でやっていく以外当てが何もなかったので。
弟には自分の事や家のお金の事など全て話しました。
そして自分で全部やると決めたことや、母を絶対に助けると決めたことを。
弟にもう一個確かめなくてはいけないことがありました。
それは
「覚悟があるかないか」
という事です。
弟に質問します。
俺「お母さんを助けたいと思う」
弟「もちろん」
俺「ただそこまでの覚悟はある?」
弟「覚悟って?」
俺「たとえば俺は何があっても助けると決めた。
ただ現実的にお母さんが助かったとしても、今までの状態は無理だと思う。
まず入院費用や見舞、手続き関係や仕事にももちろん影響が出る。そしてよくなったとしても介護しなくちゃいけないと思う。
お金がいくらかかるかわからないしずっと続いていくものなんだよね。
1か月、2か月頑張ればいいものではなく一生付きまとってくる。
すると今後やりたいことも出来なくなることが多いし、結婚したい人がいたとしてもプロポーズの言葉の中に自分の母親も介護してほしい、と言うセリフを入れなくちゃいけない。
更に今後の自分のキャリアや遊ぶ自由、将来の夢、結婚相手全てにおいて制約が出てくる。
そしてお母さんを恨むときもあると思う。
でもそこまで考えても俺はお母さんを助けると決めた。
お前にはその覚悟がある?」
そう聞くと
弟「あるよ、もちろん」
俺「本当に?人生変わるぞ」
弟「、、、、、ちょっと待って、、、、、、
ごめん、わかんないや、やっぱりちょっと待って」
25歳の弟には酷な話をしたと思います。
ただそれが現実でした。一度最悪のパターンまで考えておく力がまだ弟にはなかったようでした。
自分が25歳の時はまだ遊びたい事も多く、仕事に対しても一生懸命でやりがいがありました。
弟にとってはこれからです。弟には6年付き合っている彼女もいました。
私自身はその半年前に彼女と別れていたので特に誰もいない状態です。
その弟の返答を聞いて
「すべて自分でやっていこう」
と決めました。それとともに新たなプレッシャーも生まれます。
自分が病気になってもいけない、
母の面倒も見ていかなくてはいけない、
鬱になってもいけない、
落ち込んでる暇もない、
お金を稼がなくてはいけない、
死んでもいけない、
なぜならもしこの中の事が一つでも起きてしまうとこの負担が自動的に弟の方に行くからです。
そうすると負の連鎖が止まらなくなります。
「負の連鎖は俺で止める」
この後も色々な出来事あり、大変な時もありましたがこの言葉を常に自分に言い聞かせてました。
悲しい言葉でしたが一番自分を奮い立たせてくれました。
それがモチベーションに繋がっていったのです。
この後結果として弟は見舞などには良く来ましたが他は手伝いませんでした。
自分が
「俺がやるから良いよ」
と言った事もあるのですが、結局自分ですべてやりました。
正直弟を恨んだことは何回もあります。
身内が病気になり自分一人でやっているとどうしてもやりきれなくなる時はあります。
綺麗事ではなく人間の感情としては当然のことでしょう。
そういう時は弟に恨んでいるとは言いませんが
「俺一人で大変だ」
と愚痴を言ってました。
結果からするとため込む前に言った事が良かったと思います。
私は強い人間ではないので。
ため込みすぎると爆発してとんでもないことを起こす可能性が
あると思います。
そこに行く過程は自分自身の体験としてよくわかりました。
無理しながら無理しすぎないことが一番だと思います。
介護されてる方まわりにいたら優しく話しかけて気にしてあげてください。
それだけでも介護者にとっては心の軽くなる時です。

この日は母に進展はありませんでした。
夜までいて母の顔を見てから家に帰りました。