20代介護⑫

母が倒れて急性期が過ぎるまでについて書きました。
この間に起こったことまとめてみると
・銀行(引き出せるかの確認)
・役所(限度額認定証)
・リハビリ(次の病院探し)
・ソーシャルワーカー(当たり引いてください)
・保険(クレームからスタート)
・母の親類への連絡
・医者、看護婦への質問(毎日)
・看病(毎日)
・病院への支払い、その他
(人によるが20万から25万位かかるかな。)
・半端じゃない悲しみ
・急性期が過ぎるまでの心労
(何が起こるかわからない、本当に怖い)
・人生プランの変更(仕方ないけど割り切れない思い)
・借金増大
・父親への恨み増大(母親を無一文で捨てやがって!)
・友人関係がなくなっていく
(電話かかってくると向こうは普通に話しかけてくる。
それに対してうらやましく言動が荒くなるので)
・いろんな所でケンカ口調にすぐなってしまう
・仕事
(結局毎日行ってた)
・母への愛(パワーアップ)
2週間足らずですが私はこんな感じでした。
急性期の期間中に仕事の電話がかかってきます。
自分の会社でない人には状況説明しませんでした。
「母が倒れて落ち込んで何もできない」
もし自分が逆の立場だったら可哀想だと思いますがやることはしっかりやってほしいと思うはずです。
電話の時は逆に明るい声を出してました。
それが逆に今思うと良かったのかもしれません。
友人からの電話は逆に辛かったです。
どうしても楽しそうな同世代がうらやましいのでしょう。
とげのある言葉も多く、何人かやはり消えてしまいました。
後は発症から1週間ぐらいの時に母親の呼吸が常に荒く何日間も苦しがっている時期がありました。
それに対して何も出来ず、遅刻して会社に行って社長に報告した時泣いてしまいました。
その時に言われたのが
「いつまでもメソメソしてんじゃねえよ、お前」
弱ってる僕に怒ります。
これが僕の人格変わった瞬間かもしれません。
この会社の社長の人間の奥底を見抜く力というのでしょうか、
この時の言葉はかなりききました。
おかげで
「誰も俺を助けてくれる人はいない、
この会社も社長も俺を助けてはくれない、
自分でやるしかないんだ」
変な理解の仕方の感謝です。
変な話ですがここから落ち込むことは一切なくなりました。
何かあると心の中で逆ギレする発想になり、落ち込まなくなります。
ここまで狙って言ってくれたのかはわかりませんがいい意味だと強くなりました。
ただこの社長はちょっと冷たいです。
仕事ぶりは尊敬してますが人間的な優しさはかけてましたかね。
ただ感謝はしてます。自分にとって大きな成長させてくれました。
(相手の事を真剣に考え相手の奥底まで考えたうえで先回りして話す。まだ勉強段階です)
発症してから半年間はこの会社にいるのですが通常は月6日の休みです。
週1の休みのときは1日だけ遅刻して病院に行ってもいい
と許してくれました。
この後週2回病院に行くようにして残りは仕事を
全力でしてました。
会社で怒られたり、他に仕事で嫌なことがあってもすぐに元気になります。
「喋れなくなったり、歩けなくなることに比べたら大したことない」
そう思うとすぐに立ち直りました。
逆に人の悩みが全て大したことないように思います。
「それは死ぬことなの?」
「それは一生背負っていくことなの?1,2か月悩めば終わる事なの?」
「それはお金かかるの?いくらかかるの?いつまでかかるの?」
こんな考えでした。
このやり方が今の自分には正しいと思っていました。
ただ女性には違うんですね、
理屈ではない、優しい言葉が必要なのだと・・・

話が脱線してしまうのでこの話はいつか書けるようだったら。
僕の中では母の介護とつながっている話です。

発症してから2週間の出来事書いてみました。
人生が突然変わった2週間です。
この先は8か月の入院についてです。
やっぱり色々ありましたね、、、
丁寧に書いていければと思ってます。