20代介護⑯

医者に脳梗塞について話を聞いたときに脳に障害があった場合大きく2つに分かれることがあると聞きました。
1つは相手が言っていることがわかるが喋れない。
もう1つが言葉はしゃべれるが言っていることを自分で理解していない。
私の母の場合前者でこちらの言っていることは時間がたつにつれだんだんと全てではないですが理解できるようになって来ていました。
構音障害といって頭の中で考えた言葉が脳にはあるらしいのですが口の動かし方が出来なく喋れない病気です。
母には悪いですが私としては理解できずにしゃべり続ける状態になるよりは良かったのかなと思っています。
仕事に行きストレスを感じている上に、病院で訳の分からない事を延々と言われていたら私は多分駄目だったでしょう。
ただ今現在ですが今後母が認知症になる可能性はかなり高いと思っています。
受け入れる準備はしておかないといけない、とよく考えますね。
母は構音障害で右麻痺の為、誰か来ても話すことはできません。
一か月経つ頃には目を開けている時間も多くなり、テレビを見るようになっていました。
前にも書きましたがこの病院では1000円のカードが必要です。
テレビがないと母は何もすることがないのでテレビは必需品でした。
「テレビを持ち込んでもいいのか?」
と聞きましたが案の定
「ダメ」
との病院からのお言葉です。
このことは昔から変わっていないので私も納得してました。
母がテレビ見たそうな仕草をするのでテレビつけてあげます。
リモコンがあるので母に渡しますが、リモコンの使い方
が分からなくなっていました。
私からすると仮に4チャンネルが見たい場合は4を押します。
何も難しい事はありません。
ただ母の思考回路の中で4を押す。と考えてもそのボタンを
押せずに電源のボタンを押したり、入力切替のボタンを
押したりと自分の思うようにボタンが押せないようでした。
そのたびに「あれ?」と言った顔をするので、ボタンの押し方を見せながら教えます。
「ああ~」といってわかったような表情するのですが、また違う所のボタンを延々と押し続けたりしていました。
どうやら考えたことがうまく行動に出来ないようです。
病院にいるときは毎回リモコンの押し方をゆっくり教えてあげていました。
しばらくすると電源のボタンとチャンネルを切り替えるボタンは覚えてくれたみたいです。
結構根気のいる事だと思います。
ちなみに私は母が発症して以来一度も怒ったことありません。
優しく、当たり前のことを何度でもゆっくりと。
こういう作業がどうしても必要になります。
最初の頃はやはり私も落ち込みました。
赤ちゃんに教えるようにしなくてはいけないので、そのたびに
「母は以前のように戻らない」
という事を改めて実感します。
慣れるわけではありませんが現在は意外に大丈夫ですね。
「そういう風にすることが普通の事」
だという意識になっているのでしょう。
ほかにも右麻痺の為飲み物や食べ物を取ると右の口からだらだらとこぼします。
口の右側に感覚がないのでこぼしているのに気が付かない為です。
なので一緒にいるときは常にタオルでこぼしてもいいように準備してました。
些細な出来事ですが親が倒れてから何か月もこのような色々なことが起きます。
そのたびにショックを受けます。
ただ周りの方はそういう事は知りません。
病気になって最初の時は心配してくれますが、何か月もたつとその人たちにとっては過去の事です。
看病している人は常に親の事で落ち込むこと多いです。
周りにそういう人がいた時の為にこういう話も書きました。
介護する方にはずっと続く話です。
一,二週間の話ではないので些細なことで落ち込んでるとき絶対にあります。
「こういうケースもあるんだな」
と思って話すと話し方変わると思います。
経験がないので仕方のない事です。
そういう人の参考になればと思います。
またこの一か月たったあたりから母の事を
「自分の女だ」
と思うようになりました。
決して近親相姦の話ではありません。(笑)
母という言葉を使うと自分の中で
「長男だから親の面倒を見る義務がある」
という言葉になります。
しかし辛い時間が続くと
「自分はなんでまだ20代なのに親の面倒見なくてはいけないんだ?しかも一生。
その上自分が常に母のそばにいなくてはいけない。
自分の時間も人生もなくなる。」
という考えが浮かびます。
そして
「母を捨てた親父を憎む」
という考えになり心は憎しみ一杯になりました。
精神衛生上よくありません。
ただ自分が愛した人なら?
それは自分で決めたことです。
数ある選択肢の中から自分で決断して決めた答えです。
座ることも歩くことも話すことも出来なくなり、知能が赤ちゃんみたいになってしまった母親。
マイナスの事ばかり考えてしまいます。
なので
「自分の女だ。俺が全部やってやる」
そう思うと力がわいてきました。
マザコンだと自分で思っていましたがその上があるんですね。
母親ではなく自分の女。
そういう気持ちでした。
(エロい事大好きなのですが親に対しては性欲ありませんよ。
 一応念のため、、、、
 こんなこと書いたら誤解されるんだろうな(笑))
当時の率直な気持ちでした。