3年分の介護日記のまとめ

前の16個の記事書いてからは書くのやめてたんだよね・・・
それ以降少しだけ書いてたからまとめてのせてみる。
最後の文章は・・・悲しいね・・・

2011年04月
1年ちょい。

変な話だがやっと一段落した感じがする今日である。
体に力があまり入らない。
そんなに深刻なレベルではないのですぐ治るであろうが体の力が抜けてく感じだ。
1年ちょい前に母が倒れ、00との件があり、
病院、役所、介護、銀行などと
いつも切羽詰まった感じで話をしていた。
それが5月からはほとんどなくなる。
いわゆる自分の時間が持てる事が多くなる。
この1年間自分以外の為にかなりの時間を費やしてきた。
いつも自問自答する日々だった。
一言では言い表せない感情がかなりあった。
ただ母と00の為に当然のように毎週時間を使ってきた時間がなくなる。
張りつめていたものがまた少し弱くなった感じだ。
また少し燃え尽きたような感情がある。
幸いなことに生活していくうえで今は不安はない。
本当に幸せな事であると思う。
このような弱音を吐くことによって自分が動かないことを言い訳にできるからとても楽だ。
その甘えにもう少し浸っていようと思う。
今は人にあまり会いたくない。
人と関わりたくない。
自分も傷つくし、相手も傷つけてしまう。
文面を考えて全くいない。
適当に思ったことを書いている。
小さな世界で幸せを感じられる時間を多くしたい。
死ぬ気は全くない。
まだまだ生きていたい。
大きな00にかかわりたくない。
人が悲しむ表情はもうみたくない。
家にいることが一番落ち着く。
あまり今は考えないようにしよう、、、

2012年03月

久しぶりにこの話題に触れます。
1年以上ぶりでしょうか?
何回か続きを書こうと思ったのですがどうしても心が痛くなるので手を付けられませんでした。
もう少しで母が倒れて2年になります。
時々このブログの自分の話題を見るのですが本当に大変だったんだな、、、、
と思います。
客観的にみて29歳、サラリーマン、独身、
父親からの援助なし、お金ない。
この人が母の入院からお見舞い、手続き、お金関係、介護生活。
そして人生に希望がなくなり、母が死ぬまで一生抜けられない運命にある人、、、、
恐ろしくなります、、、、
今までの仕事のキャリア、今後の人生のプラン、結婚したい相手へのプロポーズに
「母の面倒も一緒に見てほしい」
と言わなくてはいけない事。
24時間常に母の介護の事が頭から離れない、、、
人格が変わること。
誰にも理解されることはない心境。
誰も助けてはくれない事。
あげればまだまだ出てきます。
30前のこの人には本当に大変な事だったと思います。
今その人は31になりました。
その人は今ある程度心に余裕が生まれ日々を幸せに生きようとしています。
1日1日を大切に。
「今日は良かった日だ」
と寝る前に言えるように。
翌日に突然人生がすべて変わったことがおきてから考え方が変わりました。
今の考えになるまで何段階ものステップをふみました。
ただまだ途中経過です。
この先に考え方が変わることもあると思います。
マイナス思考にはいきたくありません。
「落ち込むことは時間の無駄」
「絶対に死んでたまるか」
何度口に出して言ったかわかりません。
最近はその言葉もほとんど出てこなくなりました。
幸せなことだと思います。
最近自分の事を考えられる時間が多くなりました。
次のステップにいくようです。
幸せの基準も少し高くなりました。
この話題は自分にとって振り返るとやはり心が痛くなるようです。
心拍数が上がっているのがわかります。
正直あの思いはもう一生したくありません。
その為に自分の中のルール、覚悟、優先事項、リスク対応、色々考えました。
その点については人より何倍も考えているでしょう。
「心が変われば運命が変わる」
29歳の時に起きたことは運命だったのかもしれません。
もうあの思い、状況はしたくありません。
もし自分の運命にまた同じようなことが起きるとしたら、それは決まってしまっていることなのか?
いや今度は変えられる。
絶対に変えてやる。
人によって価値観、考え方は様々です。
つらい思いはしたくありません。
しかしつらいことは起きてしまいます。
「あの時こうしておけばよかった、、、」
1番大嫌いな言葉です。
その言葉はつかってはいけない。
その言葉を使わないためにも常に
「今の最善を尽くす」
その為には今までの生き方、考え方も変えなくてはいけない。
心を変える作業をしなくてはいけない。
そうすれば違う運命にいくことができるかもしれない。
つらい現実が待っていても常に最善を尽くしていれば後悔の割合は少なくなるはずです。
私が当時人から言われて1番嫌だった言葉は
「世界の貧しい人と比べたら大したことないと思えるかもよ」
つらいときにそれを言われると
「もっと頑張れ」
と言われてるようにしか聞こえません。
自分なりに考えた言葉は
「日本人の中で結構ランクの高い不幸なほうだ」
と認めることでした。
そうすることによって
「じゃあそのまま不幸のまま生きていくのか?」
と自問自答します。
一生不幸なことは嫌でした。
せっかく生まれてきたのだから楽しく生きていきたい。
そうすることによって自分の中で納得がいきパワーが出てきました。
ただ人にもよると思います。
自分なりの解決法を見つけることが1番大変なのかもしれませんね。
私の本当の夢は死ぬときに
「いい人生だった、、、」
と思いながら死ぬことなのかも知れません。
後悔しない生き方。
他人は他人です。
よく考え自分で見つけた答えが1番本人にとって
正しいと思います。
1日1日を大切に幸せに生きていく。
これを大事にしたいです。

2012年06月
つらかった、、、、、、

母の姉が介護になりそうである。
そして私がまったくしらない親戚が
「何かあった時の責任者になれ」
という。
久しぶりに昔の事を思い出した。
「俺の人生介護だけにするのか?」
はっきし言って
「死ね」
と言われているのと全く同じことである。
今回は弟が助けてくれた。
人の面倒を見るということの本当の大変さは介護した人でないとわからない、、、、、
「落ち込むという選択肢を外す」
という心の整理の仕方を久しぶりに使った、、、
もう人とできるだけ関わりたくない。
小さな世界で生きていきたい。
改めて思った瞬間だった。

2012年06月

覚悟が大事である。
後悔しないこともとても大切。
嫌なことがあればいいこともある。
というわけで31にして2人目の介護デビュー。
自称介護のカリスマなのだがそれを更に極めそうな気がする、、、、、
しかしながら今回は母の姉。
母のように一生懸命には全くやらないことは決めました。
自分の心を整えないとこれ以上はさすがにおかしくなるでしょう。
結婚、子育て以外のライフイベントはほとんどわかるようになってしまいましたわ、、、
今回は人に愚痴を言う気力があるのと経験があるので2年前の地獄のような状況にはならないはず。
油断は全くできないが
「自分よ、無理はするなよ」
といつも言い聞かせるようにします。
それが本当に1番大事だね。

2013年10月
泣いちゃうね、、、、

強く生きる。
これが基本だと思います。
ただ今日はやっぱ駄目だった、、、
母の調子が悪くなってる。
抗がん剤ももう出来ないので、よくなる方法はない。
この事実は覚悟していたはずだが、、、、、、
やはりつらいね。
今日は強がらずに、素直になってもいいのかな、と思う。
マザコンであることが強みであり弱み。
3年半以上たつが、
「命を懸けて母を守る」
これはもうぶれないでしょう。
母が満足できることをできる限りやってあげようね。
あとは息子が楽しく人生過ごすこと。
それが母の望みでもあるからね。
がんばろうね。

2013年10月
涙がでちゃうね

今日久しぶりに泣きました。
今回はもうどうしようもない、、、、
やれることが何もない、、、、
3年半前、仕事辞め、友人全部なくし、お金借金する。
これくらいしてきたが、今回はどうしようもないんでしょう。
初めて母の前で泣いてしまった、、、、
母は本当に強いと思う。
こんな状況でも覚悟しているのでしょう。
家で見る寝顔ももう最後かもしれない、、、、
正直つらい、、、、
つらい、
つらい以外の言葉がない。
綺麗ごとではなく、介護でこれだけの時間使って、何回も頭おかしくなりそうになったりもしたが、まだ母の事を思っている自分がいる。

また仕事に影響もでるし、人生にも影響でるけど、
母の事を優先にやってあげようね。
自分の心の底からの本音がこれだと思う。

人に理解されないのには慣れた。笑
やれること、できる限りやってあげようね。

2013年10月
あえて泣き言を、、、、

弱音は吐かない。
3年半ずっとどんな状況でも弱音は吐かなかったが、今回はどう考えても、弱音になってしまう。
体に力が入らず、足腰がふらふらする。
3年半前に脳梗塞突然なってしまった時と状態が少し似てる。
でもこれが本当の気持ちなのかもしれないね。
時間がたてばまた変わることも知っているし、行動や習慣の変え方もできる。
だからこそ今は悲しんでいるほうが良い気がする。
素直な心からの声。
仕事、人生に影響出るがやはり母優先でいきましょうね。
一番大事な人だから、、、、
介護でどれほど苦しんだかわからないが、、、、、
母のいない家がとてもさみしい、、、、
悲しいね、、、、
つらいよ、、、
油断すると涙がとまらないわ。
出来る限り一緒にいてあげようね。

2013年10月
弱音、、、、、

まだ駄目みたい、、、、
久しぶりに自分のブログを読んだ。
あの時に比べれば、、、という気持ちもあるのだが、、、、
正直仕事の集中力が全くない。
イコール大赤字になる。
未来がやばい。
普段言ってることと全然違う。
よーくわかってる。
でも母の辛そうな顔や、もう治療方法がない現実を考えると力が出ない。
毎日仕事には行っている。
そこは以前より成長したのかもしれない。
ただやはり母に何かあるとだめだわ、、、俺はね、、、
つらい。
素直に認めてる。
何かしてあげることは?
お見舞いに行くしかない。
「元気になってね」
と言えない自分がつらい。その方法がないので。
未来があるから人間は向上心をもって対応できると思う。
でもあきらめなくてはいけないこともある。
その場合どうすればよいのか????
3週間近く考えてもわからない。
過去の経験でもわからない。
あきらめない、妥協しないが自分の生き方だったので。
今回はわからない、、、、
極論からいうと正解は
「あきらめることを受け入れること」
理詰めで考えるとそうなる。
感情論的には
「ふざけるな!!」
が自分のもう一つの答え。
母が好きである。
人への優しさや思いやりを教えてくれたのは母だったので。
涙が出てくるね、、、、
どうすることもできないのがつらいよ、、、、
やっと介護しながら働ける環境も出来たのにね。
自分が一生懸命仕事の話してると嬉しそうだった。
3年以上かけてね、、、、、
この環境できたんだけどね、、、、、
母になにかあった時は覚悟はしていた。
でもこれだけは口先だけだったみたい。
全然ダメ人間になってる。
ただそんな姿は母はみたくないはず。
元気で頑張って生き生きしている自分を見るのが母は嬉しそうだったから。
人に嫌われることは構わない。
母が良くなってくれるのなら。
ずっとこの思いだった。
3年半続いている
「命を懸けて母を守る」
生まれて初めてずっと続いている自分の継続。
今回だけどうしようもない、、、、
白血病。脳梗塞。心不全。
やっぱり重い病気である。

今自分にできることは?
自問自答してみると
・毎日病院行く。笑顔を見せてあげる。楽しいお話しする。
・仕事ちゃんとやって母を安心させる。母にとって誇りに思える息子になる。
・自分が元気でいる。
改めて思うとこんなところだと思う。
母親って不思議だなって思う。
自分も弟も30前後で人から見たらそれなりに仕事しっかりやる怖い人。
母のときだけとんでもなく弱くなる。
感謝してるんだろうね、母に。
お母さんか、、、
本当に大事だね、、、、、
つらいけどしっかりしなきゃな、、
やっぱり。
昔を思い出してつらい気持ちをしっかりと持ちながら
生きていかなきゃね。
しっかりやろう。

2013年
わかんない、、、、、

涙がとまらない、、、、、
このブログ多分終了します。
介護終わりました。
綺麗ごとではすまされない生き方。
楽な日は1日もなかった。
辛いことも数えきれない。
でもやっぱりつらい。
本当に本当に母が好きでした。
介護できたのは単純に
「母が好きだから」。
心から大事な母でした。
「幸せに過ごしてほしい、元気でいてほしい。守ってあげたい」
介護する人は単純にそう思う人なんだと思います。
涙がとまりません。
力も入らない、、、、
短かったのか長かったのかもわからない。
今後何をしていいかもわからない。
自分の中の基本の軸がなくなったので仕方ないとは思う。
時間は必要だね、、、、
まだ現実を理解していない、
認めていないんだと思う。
心から母が好きで大事だったんだな、、、、、
つらいし、力が入らないし、何も考える力がない、、、